遊び 一 回復01椰子の影がプールの縁まで伸びて、水面の半分が日陰になっている。まっすぐでない形に掘ってあるぶん、縁が長い。泳ぎ切るより先に、どこかの縁に手が届く。 1回 泳ぐ15分と浮かぶ15分
私は毎日、夕方にプールに入る
泳いでいたのは、そのうちの半分。あとの半分は、端につかまってぷかぷかしている。手足の力を抜いて、天井か空のどちらかを見ている。

02(イメージ)上は藍のままで、下へ行くほど橙の帯が横に伸びている。雲の縁が明るく、その下はもう影に沈んでいる。
18時に部屋を出て、水に入って、戻ってきたのは18時30分だった。水に入る時刻を、私は毎回同じように決めている。誰かと約束しているわけでもないのに、この時刻は自分の中で動かない。
降りるのは18時ごろで、部屋に戻るまでの30分が、その日にプールを使う時間のすべてになる。泳ぐ15分より、浮かんでいる15分のほうが長く感じる。何かを考えているわけではなく、ただ水に体を預けている。
この時間のプールは、たいてい静かだ。声はほとんど無く、ときどき水を切る音が響く。それ以外は、自分の呼吸の音のほうが大きく聞こえる。
水面に反射する光の色も、日によって少しずつ違う。橙に近い日もあれば、まだ白っぽく明るいままの日もある。
この30分を、ホテルを移るたびに繰り返している。国が変わっても、宿が変わっても、この習慣は変わらない。部屋の広さや値段が変わっても、私の習慣は、国によって変わることはない。
宿はプールがあるかどうかで選ぶ
私は部屋を借りずに、ホテルを移りながら暮らしている。泊まる宿を決めるとき、私が最初に見るのはプールの有無だ。値段や部屋の広さより先に、そこを確かめる。
朝起きてビュッフェを食べ、モールへ出て、エステを受け、夕方にプールへ入り、ホテルで眠る。タイに引っ越してから、この順番はほとんど変わってない
- ビュッフェを食べる
- モールへ出る
- エステを受ける
- 夕方、プールに入る
クアラルンプールでは、1泊1.5万円のスイートに4泊した。屋上には、白い寝椅子が並ぶ細長いプールがあった。窓の外には超高層ビルとツインタワーが見えた。

03細長い水面の縁に白い寝椅子が等間隔で並び、どれも背もたれを起こしたまま空いている。どれが空いているかを確かめる必要は、この時間には出てこない。
ホテルを拠点に、私は働きたいときに働き、気が向けばツインタワーの見えるプールで泳いだ。本格的なアラブ料理を、部屋まで運んでもらうこともあった。

04白い皿に、串に刺さったままの肉と、揚げた芋と、とうもろこしが寄せてある。頼んだものが部屋まで運ばれてきて、皿はそのまま卓に残った。
ただ、この5つ星ホテルは、少し面倒だなって感じた。豪華なフルキッチンも、エレベーターに乗るたびにカードキーをかざすほど行き届いたセキュリティも、私の暮らしには合わなかった。
リゾートホテルにはハズレもある
バンコクの、スワンナプーム空港に近い宿に泊まったこともある。着いてすぐ、部屋をプールが見える階へ上げてもらえた。荷物を運んでくれた人に、何泊するの、と聞かれて、1週間、と答えた。
シティビューの部屋が、プールビューの部屋に変わったが、値段は同じだったらしい。理由は聞かなかったが、断る理由も無かった。空いていた部屋がたまたまそちらだったのかもしれない。
そこのプールは、実際に広かった。ただ共用の設備はプールとジムに限られていて、マッサージも90分1600バーツと、街なかの倍の値段だった。
リゾートの豪華さと暮らしやすさは、同じではなかった。空港に近い便利さと引き換えに、街まで出るには時間もお金もかかった。マッサージも、割高な値段のまま毎回そこで受けることになった。
街なかまで出れば、同じ90分のマッサージがもっと安く受けられることは分かっていた。それでもわざわざ移動なんてするわけもなく、結局はその値段を受け入れるしかないのだけど。
宿を替えるたびに、共用スペースの中身は毎回違っていた。共用スペースがプールとジムに限られた宿もあれば、レストランが何軒も入った宿もあった。
時間帯にも似たことが起きる。朝の水は冷たく、昼は日差しが強すぎて、肌を焼きたくない私には向かなかった。
高い階の部屋に泊まったときは、街のタワーが見える位置にプールがあった。端につかまって外を見ていると、15分はすぐに過ぎた。

05プールを端から見ると、水の面が街の輪郭にそのまま重なる。目の高さを水に合わせると、境目がどこにあるのか見えなくなる。
泳ぐより、外を眺めている時間のほうが長い。それでも部屋に戻るまでの流れは、いつもと同じだった。景色が変わっても、30分という長さのほうは動かなかった。
夕方に入ると、三つ同時に揃う
- 水がぬるくて気持ちがいい
- 空がまだ明るい
- 人がいない
18時ごろに入ると、この三つがそろう。朝は水が冷たく、昼は暑いので、降りるのは日が傾いてからになる。
クアラルンプールの屋上でも、バンコクの空港近くの宿でも、狙う時刻は同じ18時のままだった。プールの形も高さも違うのに、体が覚えている時刻は動かなかった。
何もない場所だと思って行った街にも、あった
ポーランドの田舎に泊まった日、宿に着いたのは18時20分だった。着いたときは、何もない場所に来てしまったと思っていた。
窓の外に見えたのは、明かりのほとんど無い畑と、遠くの林の輪郭くらいだった。同じ町にモールも無ければ、街灯の並ぶ通りも見当たらなかった。
プール⇨ ジャグジー ⇨ シャワー と行ってきた! 気持ちよかった! ど田舎きてどうするんだよって思ってたけど、ここ来てよかった!
ここに来るまで、私はど田舎に来てどうするんだ、と思っていた。それでも部屋に戻るまでの流れは、いつもの30分と同じだった。プールとジャグジーとシャワーを順に回って、69分で部屋に戻っている。
宿の周りには店の1軒も無く、明かりも少なかった。それでも、夕方に水へ入るという行動そのものは、都市の宿と何も変わらなかった。
宿の見方が変わった
見るのはプールの広さではなく、夕方に日が入るかどうかになった。予約の画面で私が先に開くのは、その1枚になっている。部屋の写真より先に、そこを確かめる。
エステを受けて、プールで泳いで、たまにマンゴーを食べる。イスタンブールでも、この並びは変わらなかった。この並びが、いまの私の日常になっている。
泳ぐと、悩んでいたことがどうでもよくなる。水から上がって部屋へ戻る廊下は、いつも冷えている。その温度で、降りた時刻が合っていたことが分かる。
次の宿を決めるときも、私はまず同じ問いを立てる。プールはあるか、そこに夕方の日は入るか。答えが両方そろって、はじめて予約に進む。
クアラルンプールでも、バンコクでも、ポーランドの田舎でも、私は同じ問いを立てていた。宿の名前も部屋の広さも忘れても、プールからの景色だけは、なぜかいつも覚えているのだ。




